高齢の家族・認知症・ゴミ屋敷を考える
今回は、「捨てること」について考えてみたいと思います。
人間が石を道具として加工し始めたのは、少なくとも約260万年前ともいわれています。
当時の「持ち物」は、今のような便利な道具ではなく、石を打ち欠いてつくった、切る・たたく・割るための道具だったのでしょう。
そこから、着る物、器、装飾品、玩具と、人の身の回りには少しずつ物が増えていきました。
そして、同じ土地に定住するようになると、家具やじゅうたん、暮らしを彩る物も増えていったのだと思います。
人間には昔から、「便利に暮らしたい」「好きな物をそばに置きたい」という気持ちがあったのでしょう。
石の道具から始まった持ち物が、今では収納に入りきらないほど増えることもあるのですから、人間とはなかなか面白いものです。
では、話を「捨てること」に戻します。
壊れたから。
飽きたから。
置き場に困るから。
もう必要ではなくなったから。
人が物を捨てる理由は、さまざまです。
反対に、捨てたくても捨てられないこともあります。
「ゴミ屋敷」と呼ばれる住まいを見聞きすることがありますが、それを単に、だらしなさや本人の性格だけで考えることはできないように思います。
年齢を重ねたり、心身の状態が変わったりすると、今まで当たり前にできていたことが難しくなる場合があります。
ごみの収集日が分かりにくくなる。
ごみを出すこと自体を忘れてしまう。
必要な物と不要な物の区別がつきにくくなる。
こうしたことが重なると、少しずつ家の中に物がたまっていくことがあります。認知症も、その背景の一つになる場合があります。
最初は、周りから言われることを苦痛に感じながらも、「片付けなければ」と思っていることもあるでしょう。
けれど次第に、そこにある物が「自分に必要な物」に思えたり、指摘する人を悪い人のように感じたりすることもあるのではないでしょうか。
だからこそ大切なのは、責めることではなく、変化に気づくことだと思います。
家の中が以前より片付かなくなった。
同じ物を何度も買ってしまう。
ごみ出しが難しそうになっている。
そんな小さな変化を、家族や身近な人が気に掛け、早めに声を掛け合えること。
困ってから急につながるのではなく、日頃から無理なく関われる関係があることが、暮らしを守る力になるのだと思います。
私の父も88歳で、認知症による行動の一つとして、似たようなことがあります。私は見守りながら必要なサポートをしているため、家が物であふれ返る手前で、暮らしを維持できています。
家は、ただの箱ではありません。
その中で、一人ひとりが毎日を過ごす場所です。
インテリアコーディネーターとして、使いやすい収納や動きやすい環境を考えるお手伝いができることもあります。
けれど、暮らしを支える大きな一歩になるのは、ご家族や身近な方が、その人の変化に気づき、孤独にしないことなのだと思います。
そして、見守る側の方も、どうか一人で抱え込まないでください。
「自分の家族のことだから」と頑張りすぎず、行政や周りの人、住まいに関わる私のような存在にも、気軽に相談していただけたらと思います。
人は、助け合えることに甘えてよいのです。上手に助けを借りることは、片づけることが難しい方にとっても、その周りで支える方にとっても、きっと良いことにつながります。
私も8年以上、一人で頑張ってきたつもりでした。けれど振り返ると、以前から多くの方に助けられていました。今も姉妹や行政の方々に、大いに助けていただいています。
私が捨てるべきだったものは、物だけではなく、
「私しかいない」という思い込みだったのかもしれません。
捨てるものは、物だけではないということですね。


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